雨

　梅雨時のバスは奇妙な臭いが充満している。それは朝のラッシュの時によく判る。

　さあ出勤だ。外は雨。憂鬱な気分になる。玄関から「いってきまぁす」と声を掛けて傘を開く。バス停に着くまでにはストッキングが水玉模様になってしまっている。バス停に着いてもすぐに乗れる訳じゃない。バスの本数は毎日同じなのに，雨の日は高校生が増えるからだ。

　バスが来た。

　ビィーという警告音と共に乗降口が開く。傘を閉じて，銀色のステップに足を掛け，前のめりに体重を掛けて自分の体をバスに詰めていく。ようやくの思いで乗り込むと同時にビィーという警告音が鳴り響き，ガコンと扉が閉まってバスは動き出す。さぁ，ここから，充満した臭いに堪えなければならない。

　雨の日の朝。バスの中は随分ひどい臭いがする。濡れた革鞄，革靴のにおい。おじさま方の整髪料の臭い，シェービングクリームのにおい。おねえさま方の整髪料，香水。高校生の食べているキャンディー，ガムのにおい。それから，バス独特のにおいに排気ガスのにおい。

　四方は人，人，人，人。荷物を持ち替えることすらできない。人口密度が高いせいで，バスの中には奇妙な熱気がこもっている。窓ガラスは真っ白。風景は何も見えない。ときどき停まる停留所で，人が増えるだけ。隔絶された空間だ。

　こういうバスのにおいを的確に表す言葉を，私は知らない。もっとも語感が近いのは「生臭い」だと思っているが。何が生臭いのかは分からない。もしかして，こういういろいろなにおいが混ざるから生臭いのかも知れない。けれど，私の中では「雨の日のバス」は生臭いということになっている。

　雨といえば，夕立はまた別のにおいがする。ざーっと降り出した瞬間のにおい。あれは都会の交差点にいるときのような埃っぽいにおいがする。逆に夕立があがったときは，ほのかな太陽のにおいを感じるような気がする。

　秋の長雨。しとしと降り続ける雨は，それ自体強烈なにおいを発していないけれど，自分の住処のにおい，自分の暮らしのにおいを際立たせる。そのときの暮らしが不本意だったりしたときの秋の雨は耐え難い。