カレーとソフトめん

　いつものように正門をくぐり抜け，下駄箱まで校庭を横切って行く。ランドセルをカタカタ鳴らしながら低学年生が私を追い越していく。(わかいなぁ・・・)ベテランの小学生としては，下駄箱まで走っていく気力なんてわいてこない。どうせ，いつもと同じこと。　給食までどうやって過ごそうか。今日は体育も音楽も図工もないのに。今日の献立はカレーだ。女子としては，男子の手前，お代りなんてできない。でも，大盛りにしてくれないかなぁ。今週の給食当番って誰だっけ？

　コンクリートの段を昇る。下駄箱だ。上履きに代えなくちゃ。私は３月生れだから名簿順で最後から３番目。上から詰まってく下駄箱だとしゃがんで靴を入れ替えなくちゃならない。これが結構面倒くさい。いっそ足だけを使ってしようかと思ったこともある。でもそんなときに限って先生が見てたり，角で足の小指をぶったりするの。泣けるのよね，あれ。脳みそのてっぺんまで「じーぃん」ってして来て，それから痛ぁい感じがするんだよね。さて，上履き，上履きっと。あれ？　ない。おかしい。周りを見回す。落ちてないかなぁって。でも気が付けば，私の腰の辺りに上履きがぷかぷか浮いてるの。変よね。いつのまにか水浸しになってた。教室は３階。私は上履きをあきらめて，階段へ向かった。

　まるで低学年用のプールのようになってしまった廊下を「ざばっ，ざばっ」と音を立てて進んでく。足が疲れてきた。ようやく階段まできた。何段か昇ると水もなくなり，歩きやすくなる。でも服がぬれたままだ。ぺったりはりついたキュロットスカートを「ぴっ」と引っ張る。意外と冷たくはない。そのまま重い足取りで上がっていく。教室だ。

　「おはよう」って入っていくと，みんな席についてる。いつもなら私が一番早いのに。変なの。だいたいチャイムも鳴ってないのに席についてるっていうのが異常事態だ。それにおとなしすぎる。先生も未だ来てないのに。ほんとに変なの。

　席につく。ランドセルから教科書やノートを出して机の中にしまう。ランドセルと帽子を後ろの棚へしまいにいく。やっぱりここでも最下段。しかもごみ箱の近く。嫌なんだよね。名簿順だからしょうがないんだけどさ。なんだかみんなおとなしいんで，私もおとなしく席につく。気持ち悪いのぉ，なんか。なんだかわかんないけどさぁ。

　だいたい学校が水浸しで上履きが履けないのに授業あるのぉ？　きっとお休みになるから先生きてないんだよね。あ，そしたら給食，どうなるのかなぁ。せっかくカレーの日なのに。あぁ～あ。

　相変わらずチャイムは鳴らないけど，白井先生が来た。いつもなら学級委員の「起立」っていう号令で一斉に席を立って「気を付け，礼，おはようございます」をするんだけど今日はもうできない。だって，いつのまにか教室中水浸し。パイプ製の机もみんなが座ってる椅子も，先生の教壇までぷかぷか浮いてる。もし椅子から降りて起立したら，ぷかぷか浮いてる椅子に戻るだけで一苦労だもん。だから「朝のあいさつ」はなくて，朝の会もなくて，そのまま１時限目が始まってしまった。先生はいつもみたいに明るくて元気のいいまんまだけど，教室は・・・なんか，やっぱ，変。

　一体，今日の給食はどうなっちゃうんだろう。もしかして給食センターも水浸し？　あれは一階しかないもん。でも学校から少し遠いから大丈夫なのかなぁ？　ぼーっとそんなことを考えてたら「おい，牧野，こっから読め。46ページだぞ。」って言われちゃった。慌てて椅子から立ち上がろうと・・・とっとっ，水の中に・・・ぽしゃん。慌てて立ち上がる。やっぱり水は腰のあたりまである。そのまま起立した状態で国語の教科書を読む。みんなのくすくす笑いが聞こえる。でも気にしない。

　２ページ程読むと「はい」と先生が言う。「次，浅野，読め」

　さて，どうしたもんか。ぷかぷか浮いてる椅子って座りにくいよ。バランスを崩して，もう一度「ぽしゃん」は嫌だしさ。後ろの席の子に椅子の背をもってもらって，「えいっ」と勢いで乗る。よし，座れた。きっとこれ以上水かさが増えたら，もう昇れないだろうな。窓の外が気になったけど，私の席は廊下に近いから，校庭の方は見えない。あぁ，早く給食にならないかなぁ。今日は「ソフトめん」で，しかもカレー。こういう日はゼリーとかプリンが付く可能性が大きいんだよね。

　なんか切れ間の無い授業が続いてて，気が付いたら３時限目。突然，校内放送がかかった。ピンポンパンポーン「今日は学校中が水浸しのため，授業はこれで中止します」校長先生の声だ。「各クラス，先生の指示に従って給食をとって，掃除をしてから下校してください。」

　やった。クラスのみんなが騒ぎ出す。ざわざわする。低学年のクラスからも声が聞こえてくる。「じゃぁ，給食当番は着替えて取りに行ってきなさい」って白井先生が３班に言ってる。そうか，今日は３班なんだぁ。じゃ，うちらは来週が当番だ。机を班毎に並べて給食を食べる決まりなのに，今日はぷかぷか浮いちゃってできないの。だからそのまま机拭きをもった給食委員が手洗い場の方へ泳いでいくのを見てた。誰かが声を掛けた。「手洗い場じゃなくても，教室に水があるのに」
　結局，プールになってしまった教室の水で机拭きを濡らして絞ってる。なんか違うよなぁ。でも給食委員は「えいっ」って感じでジャンプしながら机を拭いてる。彼女，きっと今日一日でだいぶやせるよねぇ。ちょっと太めだから，丁度いいかも。

　給食当番が戻ってきた。いつもならすごく重そうに下げてくるのに，今日は水に浮くから楽そう。ちゃぷん，ちゃぷん音がしてる。カレーの匂い。やっぱり今日はカレーとソフトめん。給食当番が準備するのをのぞくと・・・プリンと串カツだ。しかも牛乳にココアパウダーがついてる。すっごいらっきーだ。
　そのとき先生が言った。「今日は持ってかえれそうだから，そのまま持ってかえりなさい。」うっそぉ。こんなにいい献立なのに，持ってかえるの？　20分もしたら冷めちゃうよぉ。

　それで，机の上に給食の準備をしたままで「帰りの会」だ。くぅ～。いつもより早い時間とは言え，目の前にあるとつらいよね。あぁ，食べたい。
　「・・・。明日も水浸しだったら学校は休みです。朝７時の有線で流します。有線のない家は，近所に電話して確認しなさい。掃除は明日の１時限目にします。いいね。」「はぁーい」間延びした返事。明日が休みになりそうなことより，この目の前の給食がぁぁ。「給食当番は明日の朝，ここを片づけること。はい，それじゃ。」「起立，礼，さよぉーならっ」

　みんな，ランドセルをしょって，手にカレーの入った器を持ってる。変な格好だぁ。男子は串カツを口にくわえてる。もっと変，犬みたい。私は，串カツだけここで食べてくことにした。ソースをたっぷり掛けてたべる。いつものことだけど，三分の二は玉ねぎだ。でも，たまにしか出ないおかずだもん。うれしいよね。お肉って好きなんだ。
　友達も先に帰ったみたい。しょうがない。私も家に帰るかなぁ。牛乳とココアパウダーとソフトめんをランドセルに入れて，手にカレーの入った器をもって，ざばざばっと水の中を歩いて下駄箱まで。あれ，他のクラスの人も，とっくに帰っちゃってるみたい。だって下駄箱の前は上履きの海になってるもん。こんなとこ通ったら，せっかく手に持ってるカレーがだめになっちゃう。私は窓のところにカレーを置いて，靴だけ取ってきて，職員室前の渡り廊下の方から外に出た。外もすごく静か。みんな帰るの早いんだ。通学班の子達もいない。まぁ，しょうがないけど。

　通学路を通って家に帰る。カレーの匂いがする。手に持ってるせいで，いつまでもカレーの匂いがする。ようやく神社の前まで来た。あと10分でうちに着く。でも・・・あぁ，だめ。もう我慢できない。神社の賽銭箱の上にランドセルを置いて(他は水浸しだもんね)，ソフトめんを出してカレーに入れる。罰当たりな奴かもしんない，私って。先割れスプーンで食べる。これがまた食べ難いように出来てるのよね。せっかくのソフトめんがブチブチ切れちゃうし，つるるんってめんを食べると必ず鼻に汁が飛ぶのよね。しかも今日はカレーだもん。かんべんしてほしいよ。なんて思いながら食べてる。

　すぐに器の底が見える。あぁ～。なんか名残惜しいよね。あっと言う間になくなっちゃった。好きなメニューっていうもこうだもん。やんなっちゃう。ため息がでるよ，まったくもう。

　あれ？　水が引いてる・・・？　

　辺りを見回すと，水がない。引いていったんじゃなくて，ないの。だって地面は乾いてるし，神社の真ん前の田んぼもいつも通りだもん。えっ？　ええっ？　何が起こったのぉ，もう信じられない。夢かなぁ？　でも私，右手に先割れスプーン持ってるし，左手にはさっきまでカレーの入ってた器がある。あわてて器を置いてランドセルを開けてみる。ちゃんと牛乳とココアパウダーが入ってる。やっぱり水は引いたんだね。

　私はランドセルを背負って，左手に器，右手に先割れスプーンを持って立ち上がった。「家に帰ろうっと」声を出して言ってみる。し～んとしている。あぁ，独り言，言わなきゃよかった。なんか，がっくりしちゃった。

　そうつぶやきながら，私は家に向かって歩き出した。